アイデア出しは歩きながらするのです。妄想力とは。
妄想力というものは非常に大事なのである。
アイデアは作るものではない。この認識はアマだろうがプロだろうが共通であると筆者は存じる。
どこからか湧いて出たり、あるいは降ってきたり、アイデアとはそんな漠然とした部分に忽然と現れる。決して直視してはいけない。彼は大変シャイだから、ひょこっと顔を出した隙を見逃さないのも創作者の技量に寄るところの一つなのである。
そのためにはやはり妄想力が鍵になってくる。
妄想力は万物を発想に変化させる力と言っていい。何かを生み出すには、発想という琴線に触れる回数が多ければ多いほど良いのだから、「目に見えるもの」「聞こえるもの」「味わうもの」「触れるもの」そんな瑣末ごとでさえも面白おかしく変化させていかなければならない。
ただ、妄想力とは歳を重ねていくだけで冴えていくという物ではない。あるいは授業中、あるいはランチ中、あるいは下校中、あるいは寝る前。そんな些細な日常の一節をどう捉え、どう変換し、いかにそれらを癖に出来るかという部分に成長のタネがある。
如何にエロいことでもいい。○○ニーのネタを考えるのでもいい。誰が罵ろうと、自分自身の妄想力をパワーアップさせるため、よりよい物を作り上げるため、日々の他愛無い積み重ねは意味を成して造詣を深めてくれる。
創作は総じて妄想の集合体である。
この世は幸いにも妄想するための材料が溢れている。
自室は比較的妄想するに適した空間だけれど、知らないことは知り得ないというネックがある。
だから私は外に出て歩く。ひたすら歩く。
目に付くものを脳が勝手に変換し、妄想が止まらなくなることがしばしばあり、これがいわゆる妄想力と呼ばれるものになる。
好奇心もまた重要。楽しくない道を歩いていても何も浮かんでこない。自分が楽しいと思える道を選んだほうが良い。心から楽しいと思える道を見つけることができたならば、そこは自分が所有するアイデアの採掘場である。惜しみなく掘り出す。掘って掘って掘りまくり、煮詰まるまで歩く。
歩き終わり自宅に戻り、「1日よく頑張ったな」と思えれば実りがあったということ。ゆっくり休んで机に向かおう。数時間歩けばなんだか創作意欲も湧いてくるというものだ。