無題

 私は怠惰な人間です。平たく言えばやる気がない。感情をコントロールする意思の強さが、決定的薄弱なのです。

 やりたくない事にやる気が湧かないのはそれはある種必然です、しかし怠惰という性質の悪質なところは、やらなくてはならない事、やりたい事すらも一まとめにして体が動かない。理性をやりたくないという感情が押し殺す。自分の意思に基づき、自分の望む方角へ自身の足で歩み始めたとしても、初心を忘れてぐーたら三昧。やがて自分の求む展望や野望までも記憶の彼方へ忘却してしまう。そして結果として、自らが定めた望みすらも満足に叶えられなかった、そればかりが残る。

 要は、意思と気持ちが噛み合わない。やりたい事はやりたい事であるべきだ。でもいつしかやりたい事に義務感が芽生え始める。私は勉強が嫌いである。それはやるべきだという義務が発生しているからである。当初やりたかった事と、初めからやりたくない事、その両者の行き着く場所は、どうしてかいつも同じになってしまう。それ故、やりたくないという感情が平等に芽生えてしまう。結果夢は叶わない。アンビバレンスの中央で、膝を抱えて咽び泣く終いである。

 

 私がよく覚えているセンテンスにこんなものがある。

「夢を抱くとは呪いである」

 人は夢を抱いた瞬間、その人生にはレールが敷かれる。そのレールは、元とから敷かれているレールに近しいこともあれば、まったく別、あらぬ方向へ敷かれる場合もある。だがどっちみち、歩くべきだと定められた道から、一歩や二歩逸れる事には変わりない。その道は自我の道である。歩き、進めば進むほど、元の道は遠く、もはや引き返すことすらも容易ではない遥か彼方へ遠ざかってしまう。夢追いし人は、成功という通過点を目指し、敢然と進む方が良いのではないかと錯覚するのだ。

 だがこの世は非情な事に、夢は叶わない前提歩む方が賢明なのである。なぜなら叶わない人間の方が遥かに多いから。それをわからずに、一本のレールのみに固執し、いつでも元のレールに戻るための分岐点を用意しておかない。それは溺れているという表現が適切かも知れない。判断力などなんのその、自分は叶えるのだと、蛮勇を振るうのである。でもそれを、私は致し方ない事だと思う。

 夢は幻想であり、空想だ。空想を邪魔する権利は、本人以外には存在しない。夢を追う、それは人が初めて自主的に行動したということに他ならないのだ。後ろなんか向きたくなかろうし、はたまた自分が絶望する瞬間など、きっと想像すらしていない。夢を追っている最中の人間は、少なくとも自分ならできると思い込む。目標のない人間は、それを無謀な人間だなと評価するだろう。その思考は浅はかだという考えには、私は概ね同意である。でも否定は絶対にしない。事実は小説より奇なり、可能性は容易に数値化できるものではないからだ。

 私は夢を持っている。でも私は、未だ自分を信じ切ることができていない。私は思う、自分を信じれる人から、夢は自ずと実現していくのだと。夢が叶った、その後のことはわからない。自分を信じてきた人間が、どこかの地点で現実を思い知らされる時がくるかも知れない。でもとりあえず、当面にある目標は、自分が掴み取るものだ。手を前に伸ばし、一歩前進して掴み取る。この行為は自分を信じている者しか可能にはしない。二の足を踏んでいる現状は、程遠いと思った方が良さそうだ。

 自信というものがいかに大事かを、私は嫌というほど思い知らされてきた。ここで初めの話に戻るが、私がどうして怠惰なのか、それは自分に自信がなからだ。自分の手に負える問題ではないと、無意識のうちに判断を下してしまっている。どうせできない、どうせ為し得ない、どうせどうせの繰り返し。でも、これらの「どうせ」をすべて無くせるのならば? 私はとっくに夢を叶えているだろう。その自信だけは何故かある。だから、あと私に残されている問題は、「自分なら出来る」「自分なのだから出来る」「俺を誰だと思っている」そんな謂れのない自信を身につけることだけなのだろう。この問題はなかなかデリケートで、扱い方を間違えると一気に地に落ちる。そして二度と立ち直れなくなる。きっと同じような人間は、私の他にいるだろう。私は特別な人間じゃない、特殊な性癖なんかないし、集団心理には簡単に飲み込まれる。私は一般なのである。私の持つ悩みなど、ありふれている。でも、だからこそ、乗り越えられる側の人間に私はなりたい。そう強く思う。自信とは何か、それについて思いを巡らせて眠れなくなったことなんか何度もある。自分という存在が、やはり一番わからない。でもやりたいこと、それは定まっている。

 なら、手を動かす他なかろう。自信は後からついてくる。であれば当面は、自惚れるくらいが丁度よかろう。

 私はこう考える。

「男は、ちょっとイキるくらいがちょうど良い」

 

文字を生成するという、私個人の価値。

 書きちらし。

 具体的な意向もなく、ただただ脊髄にて生成される文字をキーボードで打ち込んでいく作業に興じてみる。書き終わったあと、達成感とともに果たして益体のあるものが眼前に羅列されているのか、あるいは駄文のみが白紙を無為に埋めているのかはさしあたっては杳として知れないところである。未来がどうなっているかは知りようも無いが、未来を地道に埋めていくのは誰でも無い私自身であるから、展望はある程度明瞭でなくてはならない気もするが、一文字打った次に何がくるのか、それすらも今は暗中に漂っている。文章を書くとは暗中を模索すること。であるため、書き散らしとはいわゆるトレジャーハントである。

 

 私は文を生成するのが好きなのである。これは文章を書くとはまた違った嗜好のあり方である。

 暗闇を探索するのが好き。道順や指針に沿って歩くのはどうも苦手なたちで、なるべくしたくない。でも世を渡り歩くべくして生まれる文章は、ある程度枠組みや構成、テンプレートが決まってしまっている。履歴書や資料等々、文章を小綺麗に並べる作業は、逆に頭にモヤがかかる。これは私に文章を書く才能がないということを意味する。現に、小綺麗さを求められる場においては、私の文章が評価されたことは一度もない。むしろ他人より劣る。楽しくないことはしたくない、でもしなくてはならない、その割り切り方を私はモラトリアムの中に忘れてきた。

 しかし、気の赴くままに書き連ねた文は、割と他人からも評価される。私自身も要は筆が踊り狂っている状態の中書いているので、生き生きした文章はなんだか良いように目に映る。現に楽しいし、満足感もある。この満足感こそ、私が文を生成する際に感じる嗜好となる部分である。

 得意であることと好きであることは必ずしも一致するわけではない。そう容易く一致するのならば、世のスポーツ業界は人員過多となり、直木賞の受賞枠も6個くらいに増やされるであろう。夢とは叶わない前提のもとで目指すものである。得意でない人間が成功しない道理は無いが、好きと得意が一致している人間は私の知る限りそれなりに成功しているので、そこんところの因果関係をあえて否定する人間もいなかろう。

 私は文を生成することは得意であり好きだが、文章を書くことは得意でも好きでも無い。では何が言いたいかと言うと、私は今幸せだからいいやと言うこと。この文章は一発書きで書いている。バックスペースも今のところ3回くらいしか使っていない。前の文がこういう文だから、こう続ければうまい具合にまとめられて、区切りがいいかなくらいしか考えていない。ほら、得意でしょう。でもみなさんお察しの通り、脈絡がなければ社会的、文化的価値のある文章では決して無い。多分伝記でも無い。エッセイみたいなもん。私の文章を読むくらいなら100円均一の小説のあとがきや解説を見ていた方が百倍、いや千倍は司法試験や公務員試験、その他国家資格受験の取得に役立つことは請け合いである。一介の素人の戯言だと思って聞き流すがよろし。

 斯様な性質であるため、学生時代から感想文や論文にはあまり困らなかった。マスが埋められず汲々となる人の気持ちがわからなかった。それは私が、それっぽい駄文を書く天才だったからに他ならない。この自尊は、自分大嫌いな私が唯一誇れる部分なので批判は受け付けない。受け入れるつもりもない。親指咥えて見ているがいいデス。

 将来の役に立たない趣味が、予測しないところで役立つ時がある。であるため、好きという気持ちにはなるべく従順にしたがっておいた方が良い。「こんなん何にもならないよぉ」と嘆いている暇がなるなら、その分野で一番になってみろ。人が感じる、普遍的価値、それに都合よく答えられる人間の方が少ないのだ。無為で良い、無意味で構わない。自分の持つ価値、それを自分だけは認めてあげろ。なんか上手い感じにまとまったところで、私は筆をいよいよ置く。

 P.S.

 一度だけ駄文が、公の場で評価されたことがある。

 それは中二の頃だった。従兄弟に頼まれて、修学旅行で習った戦争に関する感想を書けという課題を引き受けたことがあった。私は修学旅行で東京に行き、従兄弟は米軍基地がある沖縄に行った。当然沖縄にて学んだことを書かねばならないのに、行ってすらいない場所で、従兄弟が勝手に学んできた事について、余所者の私が書かねばならなかったのだからそりゃあ困った。しかしその時点で、己の駄文を書く才能には気づいていたので、沖縄にて従兄弟が学んだであろうことは度外視に、私自身が戦争についてどう思うかを如実に記述した。それっぽいことが書けて、その時私は大いに満足したものだ。そのことはその時点での出来事であり、過去の勝手な満足など、時が経てば私はすっかり忘れていた。そんな時、例の従兄弟から連絡があった。曰く、「感想文が素晴らしかったから、お前が書いた文章を俺が全校の前で読み上げた」とのこと。私が何を思ったか、「なん・・・だと」。当たり前である。私の、言って仕舞えば恣意的オ○二ーが他校の全学に知れ渡ったというのだ。思わぬ高評価に些少の嬉しみもあったが、やはり羞恥は強く感じた。私の駄文が評価された、後に先にもない出来事。このことは今尚語り草となっているが、やはり若干むずがゆくなる。

 評価されるために、私は文章を生成しているのではないぞ! と。

 隙自語失礼。ここでお待ちかね、いよいよ私は筆を置く。

第二回湯煙の気ままな瓦版 〜尊敬と憧れと理解〜

 

 私はよく嫉妬する。

 自分がいかに怠惰な人間であるかを誰よりも理解しているのにも関わらず、他人の成功が妬ましくてしょうがない。その成功の陰でどんな経緯が存在しようとも、そんなものこちとら知らんとそっぽを向き、ひたすらな僻みをのべつまくなしに垂れ流す。

 こうして改めて己を顧みてみると、ろくな人間でないことこの上ない。

 一度だけ改心を試みようと、己の魂に慎ましさを念じてみたことがあるのだが、やはり意識するだけでは根本的な解決にはなり得ないと知る。そして別に変えんでええのでは無いかと思い直すまでが我が性分であった。

 しかし、嫉妬という感情は世俗的なものであるというのも事実である。嫉妬は世に溢れかえり、石を投げれば誰かに嫉妬していない人間に当たる方が確率は低いのでは無いか? 「私に石をぶつけられる程のコントロール! むぅ、妬ましい!」と新たな情動を生み出してしまう嫉妬の権化もこの世には存在するかもしれない。嫉妬という感情は当たり前と見るのが正しいのかもしれない。

 そこで思うのだが、嫉妬とは言わば憧れと紙一重である。

 大谷翔平を例に挙げよう。無理だなんだと野球界が騒ぎ立てる一方で、二刀流をいとも簡単(かのようにみせただけかも知れないが)に成し遂げ、今やメジャーで大活躍を見せている。

 そこで問おう、嫉妬の権化たちよ。あなたはいかにもな成功を収めている彼に嫉妬するか? 嫉妬の権化である私が代表して答えよう。

「んなわけあるか」

 そう、彼はすごすぎる。間違いなくスター。第二宇宙速度を超える飛躍に、もはや彼の軌跡を見ることすらも諦めるレベルの超人である。野球に本腰を入れている人間でも、彼に憧れ、そうなりたいと虚心で思える人間もそういないであろう。

 すごすぎる人間には、人は嫉妬することすらも諦める。

 その考えから導き出される結論は、人は成し遂げられると思えるレベルの他人にしか嫉妬をしないということ。この文では嫉妬=憧れであると説くわけだが、オオタニサンに人類が抱くのは主に「尊敬」である。

 私は小説を書いている。創作している人間であれば、おそらく嫉妬は付き物。すごいと思う反面自分にだってと思うこともあれば、端っから鼻で笑い私の方がと思う場合など、各々まちまちな感情を抱く。私はたいてい後者に位置付けされるが、ともすれば行動にはならないのが常である。なにせ怠惰であるから。

 膨れ上がった嫉妬と自尊心、渦巻く感情に支配されゆくばかりである私は他人の書物を読むことすらも拒絶するようになった。ひどく自分が惨めに思えるから。自我が目前をちらつき、連なる文章を見栄というフィルターがひどく面白みのないものへと変えていく。日が経つにつれ、媒体を問わないあらゆる作品を、素直に楽しめなくなっていったのである。

 しかしそんな渦中にいながらにして、私を素直に楽しませてくれるものがあった。それは作家ー森見登美彦氏の作品であった。

 初めて出会ったのは高校一年、ふと観たアニメ「四畳半神話大系」の世界に魅了されたのが彼の作品との邂逅だった。

 新古書店で初めて彼が書いた原作を読み、アニメとは違った文章ならではの面白みに心はすでに鷲掴みにされていた。古めかしい文体を痛々しいともくどいとも思わなかったのは、のちに知る彼の境遇と教養によるものであったのだと思う。

 そこから四年ほど、彼の作品は自室の本棚のわかりやすい場所に並んでいる。最近新作である『熱帯』の文庫版が出たので、ネット予約をして買った。個人的にはハードカバーよりも手のひらに収めたい性格なので、待っていた甲斐があったというもの。早速今読み進めている。100ページあまりを読んだ段階でこの文を記しているのだが、机上に置かれた『熱帯』の表紙を一瞥するだけでも、視線を滑らせインプットした、脳内に果て無く広がる砂漠や宮殿、奈良や京都の風景を思い出して気分が高揚する。とっととこんな独善描き終えて、早く脳内世界に隠居してしまいたくなるのだが、さっさと終わらせるということが出来ないあたり、私もまだ書き手としての矜持が残っているらしい。それにすこし、筆がノってきているので。

 上記の通り、すっかり心奪われているわけだが、嫉妬深い私がここまで熱中できる理由は一つしかない。彼に私は、尊敬の念しか抱いていないからである。彼にはなれない、そう深く理解できるから、彼を私という存在に当てはめず、第三者として作品を楽しむことが出来ている。

 小説を書いている人間には共通していることかも知れないが、書く文章には少なからず、かつて読んだ作品や、作家の手癖が憑る。そこに自分という一本の軸があり、それを基に文章は生まれている。

 高校時代、私は森見登美彦氏に影響されるあまり、真似て書いてみたことがある。今思えば恥ずかしい話だ。そして見返してみると決まって痛々しいものである。

 彼が宣伝される時の決まり文句に森見ワールドというものがある。それは小説の内容にも言えることだが、彼の綴る文章そのものにも言える。彼は独特であり、それを一貫して突き通し続ける。どこかで読んだのだが、どうやら彼はそういう思考法でしか小説を書くことが出来ないのだそう(今はわからない)。悪く言えば恒常的で変遷がない、しかし一芸に秀でることで普遍的な価値が生まれることもある。彼はまさしくそういうことだと思う。

 他の人間には真似することが出来ない。真似しようと思い立ち、はたして書き上げることは可能だろう。しかしいざ出来上がったものを見てみると、コレジャナイ。彼は独特の思考法で、独特の構成と文章でお話を作る。彼の書いた出版物を読み、紙面に綴られた文章を本人ではない他人が勝手に解釈し、模写しようものなら出来上がるのは独創性もくそもない贋作である。

 到底到達することのできない領域。彼が自分にとって、上か下か横か、どこにいようとも彼の周囲には近づくことすらもできない。だから私は彼に嫉妬をしない。「変な人だなぁ」と俯瞰しながら修学旅行で行った京都と文中の京都を見比べていそいそとページを繰るのである。

 なぜこれを書き記そうと思ったのか、30分前に自分に聞いても首を傾げるだろう。だから深くは考えまい。ただの衝動であろうから、綴られているのは一発書き、構成も考えなし、ひたすらに頭の中を洗いざらいタイピングしたクソ文である。多分誤字もある。

 だが、心のどこかが晴れた気がする。これが散文の良いところ。

 文章の中でまで、私に責任を問うことはできまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【乙和ノア】暮夜の会合 〜乙和〜(2)

 

 さてと、と、ノアの「可愛い」というセリフをいかにして引き出すかを考える。

 今思えば、どうしてあらかじめ考えておかなかったのか。常々、行動力ばかりが先行している。

 これが私の良いとこだという見方もあり、私も私の性分に強いコンプレックスを抱いているわけではないけれど、こういう点にはノアがうるさいんだよねぇ。だから注意されるたびに、私犯罪でもしたんかという気になって困る。直した方が良いか、直さなくて良いかはただいま乙和ちゃん検討中。

 ともあれ、ここまで来てしまった以上は出まかせでも良いからノアの気を引く何かが欲しい。

 ん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜と、長いこと考える。ふと、自分が鼻歌を歌っていたことに気がついた。

 ん?

 スラスラと、まるで身に染みているかのように、先々のメロディが口を衝いて出てくる。口じゃなくて鼻だけど。

 なんの曲だったかなととりあえず考え出すけれど、程なくしてなんてことなく思い当たった。

 Be with the world。私たちが所属する、フォトンメイデンというユニットの曲だ。学校へ行ってはそのままレッスンという生活習慣の中にいると、やっぱり勝手に頭に刻み込まれるメロディだ。学校にいる時もたまにライブをおこなったりするから、きっと私以外のメンバーも、つい口ずさんじゃったりするんじゃないかな。なんだっけ、同じ曲のフレーズが頭にこびりついて離れなくなる現象に名前があったはずなんだけど・・・思い出せないや。

 そう思いながら、鼻歌はサビへと入る。それに合わせてか分からないけれど、ノアも唐突にハモリ出した。

 無観客のゲリラライブ。なんだかどんどん嬉しくなってくる。次第に私はノリノリになる。サビを終え、ライブでやる短い尺を歌い切ったところで、ノアは回答する様に言ってきた。

「Be with the world」

「おお、せーいかーい。流石本家、分かっちゃうよねぇ。聴きまくってるもんね」

「そりゃね。ステージ上での歌詞忘れなんて洒落にならないし、未然に防ぐにはやっぱり体に覚えさせるのが手っ取り早いから」

「私歌詞覚えるのニガテなんだよねぇ。完パケしてる曲なら聴いてればその内覚えるけど、音源だけじゃやっぱり勝手が違くてさ」

「本当にね。初めの頃なんか1、2曲程度の歌詞も覚えてこなかったから、もしかしてこの子、袖の下でも使ったんじゃ無いかって疑ってたんだから」

 袖の下・・・? どこかで聞いた慣用句。しばし考えて、やっとのことで思い出すと、私は抗議の声を上げた。

「え、賄賂ってことだよね!? してないよぉ。アイドルはそんなズルい手は使わないの。みんなを笑顔にするべく華々しくデビューした乙和ちゃんは、身も心もアイドルなのです」

 そうアイドル。険しくも力強く咲き誇り、常に笑顔を振りまく至高のエンターテイメント。

 アイドルという業界への印象は、正直私の理想も含まれている。たとえそれがくだらない空想だったとしても、私は理想を持ち続けたいと思ってる。影の部分から目をそらしたとしても、私はフォトンメイデンで、誰にとっても理想のアイドルでい続けたい。と、一丁前に語ってみたり。

 つまり言いたいのは、後ろめたい事なんか何もないよということ。そしてそれは、ノアも分かってくれていたようだった。

「今は思ってないって。乙和はすごいよ、輝いてる。表に立ってこそ、乙和は真価を発揮するタイプなのかもね」

 さすが親友、わかってるじゃん。

 それにしても、ノアが私を素直に褒めるとは珍しい。

 これは・・・チャンスなのでは? そう思い私は、ちょっと強引だけど攻めてみることにした。

「え? それってつまり・・・可愛いってこと?」

「はい?」

「いやあ、輝いてるんでしょ? それって可愛いってことでは・・・ないの?」

 ないな〜、うん。でも、一言、「可愛い」と言ってもらえればそれでーー、

「流石はポジティブ魔人。物事の解釈も人智を超えてる?」

 斜め上の回答!?

「からかわないでよぉ〜」

「曲解もほどほどに」

「も〜」

 角を曲がるノアを、外回りでトコトコ追う。そしてまた、横につく。

 ダメだったか・・・わかってたけど。

 会話の脈絡の不自然さは、きっとノアが一番気にするタイプだろうからなぁ〜。

 

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 どれくらい歩いたかな、もう分からないや。

 道の端に自販機を発見。今私は喉乾いてるのかな? 分からないけど、休憩するなら良い口実かもしれない。

 よってかない? そう私が言う前に、「飲み物買おうか」とノアの方から提案してきた。ナイスタイミング。

「そだね。そういえば私も喉乾いたよぉ」

 つい思ってもないことを付け足してしまう。でもそう言ってしまってことは、もしかしたら私、喉渇いていたのかなぁ。

 立ち止まり、強い光に目を細めながら、品々を吟味していく。

 清涼感があり、甘く、程よく喉を潤してくれるもの。これかなぁという物をいくつか決め、あとは絞っていくだけになる。

「私は決めたよ。乙和は?」

「うーんとねぇ〜・・・・・・やっぱりこれかなぁ」

 先にノアが小銭を投入し、ボタンを押す。出し口から出てきたのはお茶だった。ノアが屈んだ隙に、私も小銭を入れ、望みのキャラメルラテのボタンを押した。

「んっふふ〜」

 取り出す。缶のやつは飲んだことないけれど、多分おいしい、きっとおいしい。わくわくしながらプルタブに手をかけようとして、横から不快そうな声がした。

「この時間にそれ・・・太らない?」

「ええっ、飲み物だよ? 大丈夫でしょ。むしろ、ノアのそれはつまらないよ」

「無難と言いなさい。つまるつまらないで選んでるから、カロリーは高くなるしいつも手元不如意んでしょ」

「その分動いてるから問題ないってば。それにお財布事情はノアに言われたくないよ」

 ノアは図星を突かれたようで、若干顔を歪ませた。

「あ、今まずいって顔したでしょ〜。墓穴を掘ったね、ノア」

「う、うるさい。仕方ないの、この世には英知と可愛い物が溢れてる。全てはこの世の中が悪いのであって、一概に私のせいではないのです。断じて」

「屁理屈だーい」

 にひひと、してやったと満面の笑みを向ける。

 どうやら機嫌を損ねたよう。ノアは何も言わずぷいとそっぽを向いてしまった。

 謝らないよ私。中途半端に上がった状態のプルタブを開けきる。そして一気に液体を体内に流し込んだ。

 いける、むしろ美味しい。私は満足げに缶を口から遠ざけると、「ぷは〜」と一息吐いた。どうよこの美味しそうな顔。嘲笑ってやろうとノアの方を向くと、こっちを見やったまま頬を引き攣らせていた。

「理解がまた遠のいた・・・」

「へ?」

 何が遠のいたと言うのか。私は首をかしげた。

 ラテをもう一口飲む。ふぅと一息。

 そこで、そういえばと思い出した。

 ここにくる途中ですっかり忘れてしまっていたけど、見た目の変化として、いつもは着ないような服を着てきた。ミニスカート。学校の制服以外ではあまり着ない。別に嫌いな訳じゃないけど、短パンの方が動きやすいから。ロングスカートも同様の理由。

 できればノアの方から言って欲しかったところだけど、夜だし、並んで歩いているし、気づかなくてもしょうがない。

 でも、自分から言うのもなんか違う気がする。ノアの素直な感想を引き出すには、ノアの方から気づいてもらう必要がある。

「ねえノア」

「ん?」

「今日の私、どこか変わったとこなあい?」

「あるかもだけど、ないかも知れないね」

「そういうんじゃないよー。もっと具体的に、どこが変わったのか答えて欲しいの」

 また茶化すように言う・・・。ここまで来ると、もはや意地悪なのでは?

 真面目に考えだしたようで、ノアは手を顎に当てながら、私の全身に目を通していった。ちょっと恥ずかしくなって、身をよじる。

 気付け気付け気付け。そう復唱するけれど、ノアの顔から一向にはてなが取れない。それどころか、むぎゅっとだんだん険しくなっていった。

「え〜、もしかして気づいてない?」

「いや、ちょっと待って」

 延長された。うそ、そこまで私の体を凝視して、尚気づかない!?

 それでも、最後には気づいてくれると信じていた。けれどその希望も、ノアの諦めの声であっけなく潰えた。

「お手上げ」

「ええ! ひっどーい。これだけ考えて見つけられなかったの?」

「そう。私の霊感も匙を投げたかな」

「え、霊? 霊は関係ないけどなぁ・・・」

「いやそっちの意味では無くて・・・まあ良いや。それで、正解は?」

「はあ、しょーがないなー。ほんとはこの話題を出す前に気づいて欲しいところだったんだけど」

 私はこれ見よがしにパッと両手を広げる。腰を突き出し、強調する。

「正解は、スカートを履いているでした〜」

「いや分からないよ!」

 なんと! つい、私の声も荒くなってしまう。

「えぇ! いや分かるよ分かってよ!」

「おや? とも思わなかったよ! そんな服装の変化なんて、分かる方がおかしいでしょ」

「私制服以外でスカートなんて滅多に履かないんだよ? 何回私の私服見てるのさぁ!」

 まさか違和感すら覚えられていなかったなんて・・・。大きく期待した分、ふつふつとノアに対する憤りが湧いてきた。

「もう! ノアのバカ!」

「それくらいでバカ呼ばわり・・・」

 後になって、どうしてここまで怒ったのかわからない。何が許せなかったのだろうかと、冷静になった今でも私の頭を悩ませている。

 私はドスドスと足音を立てながら、自販機を尻目に歩き出す。

 数歩歩いたあたりで、

「乙和」と呼び止められた。

「なにさ」

 少々荒々しく言いながら、振り向く。パタパタと小走りに、ノアが歩んでくる。

 謝りにきたのかな。今謝ってくれるなら、許してあげないこともないけど。

 ノアはなにやら納得の表情を浮かべている。どうしたんだろ。私の顔になにかつ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!

「今気づいたからもう一つ。ちょっと焼けたね」

 驚きすぎて、声が出なかった。触れられた方の頬が、徐々に熱を帯びていくのを感じた。

 ノアの手が私の頬に触れていた時間は、3秒もなかった。ノアの手が離れるのを機に、気づかれないよう、自販機の光が当たらない箇所にすり足で移動した。

 意味があったかどうかは分からないけれど、赤らむ顔を見られる可能性を少しでも減らしたかった。だって変だもん。なにこれ!?

 鼓動がすごい。だけど落ち着く暇も与えてもらえず、

「行こ」

 ノアにそう促される。

 ノアは待ってくれなかった。すぐには追えなかった。顔をブンブン振り、先行く彼女の背に向けて駆け出した。

 

                  ーーー続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【乙和ノア】暮夜の会合 〜乙和〜(1)

 自分で言うのもあれだけど、私は同年代の女の子と比べても可愛い方だと思う。

 いやあれだよ、これは別に他人を見下しているとかそんなではなく、あくまで一般の評価として。可愛かったからネットでバズったわけだし、多数いた応募者の中でも魅力的だったからフォトンのオーディションに合格をしたわけだし。とにかく他意はないとわかってもらいたい。

 私の他にも、私が可愛いなと思う子もたくさんいるし、自分という存在を意思に介入させていないから愚直にアイドルを応援できる。そこに嫉妬も妬みも悔しさも、私の方が上だとか言う傲りも無い。その上で、私も可愛いよねと言っている。そういうこと。

 このように他の評価は割と高めである現状なのだけれど、ただ一つ、気に食わないことがある。それは同じユニットに属する、福島ノアについてだ。

 知っての通り、可愛いものに目がない彼女は、ぬいぐるみやアクセサリー、キャラクターやアイドル、さらには同年代の女の子にすら目を輝かせる。可愛いものを目にしたノアはいつもの清楚っぷりを完全に放棄して、言葉遣いはだらしなく、言動に見境はなく、これでもかと言うほどに限界オタクとしての猛威を振るう。他人に迷惑をかけることもしばしばだ。

 同じグループの人間として恥ずかしい。まったくもう。

 けれど、私の思うところは、彼女の言動そのものに由来しない。

 ノアの中には明確な、この人は可愛いというある種差別的なものがある。そこに当てはまる人間を前にすると、上記のような常軌を逸した行動にでる。例えば出雲咲姫ちゃん、大鳴門むにちゃん、白鳥胡桃ちゃんがそこにあたる。

 人選に異論はない。彼女たちは間違いなく可愛い。認めるよ、うん。

 でも、でもーーーー

「どうして私はいないんじゃーーーーーーーーーーーーっ!」

 そう度々思う。実際に部屋で叫んで、弟にうるさいと怒鳴られたことだってある。

 毎度のことながら、どうにも釈然としない。

 歳下が好きなのだろうか。だから私はノアのセンサーに引っかからないのだろうか。でも私だって見た目は歳下みたいなものではないないか。

 ノアとはよく言い合いをする。ノアの私に対する言葉は往々にして棘が含まれる。別に私が嫌いだということはないだろうけど・・・(よく遊びにいくし)、いわゆる犬猿の仲的な関係だから、可愛いとは思わないのかもしれない。

 そういう関係を望んだわけじゃないんだけどな。勝手に当たりが強くなった。なぜに。

 ともあれ、ノアが私のことを可愛いと思うことを心理的に躊躇っていることは確かだ。

 それはすなわち、ノアの口から一言、「かわいい」という言葉を引き出すことができれば、真に私は胸を張って「私はかわいい」と明言することができる。

 だから私は、学校や事務所などの私以外の対象がいる場所、さらにはそもそも私しかいない場所にノアを呼び出すことにした。私しか話す人間がいなければ、自ずと会話は互いのことに限定される。

 夜の、人通りの少ない郊外の住宅街。そこを舞台に勝負する。

「今日の夜お散歩に行こうと思うんだけどさ、ノアもどう?」

 二つ返事で了承を得た。

 私の企てにも気づかずに、呑気なノア。

 楽しみだ。

 私は歩いて、待ち合わせ場所に向かう。

 携帯を見る。思ったよりも早くつきそうだ。ノアのことだからもういるかもしれない時間。

 しばらく歩き、暗闇の先にあそこかなと思えるベンチを発見した。近づいて見ると案の定、ノアはもうお淑やかな姿勢を固定させて座っていた。

 ノアに横目で見られる。向こうからじゃまだ、私か分からないかな。

 するとちょうどの時、今まで隠れていた月が顔を出し、青白い光が降り注いだ。

 向かってきていたのが私であったことに、ノアは安堵の面持ちになる。

 私ないつもの笑顔で、ぷらぷら軽く手を振った。

 

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「やっほーノア。待った?」

「時間ギリギリ・・・。ま、乙和にしては頑張った方かもね」

「え〜なにその言い方。感じわるーい」

 私は両腕を上下に振って文句を言う。初っ端から、やっぱ当たりが強い。

 私が不服の表情を浮かべると、ノアはこんなことを言う。

「素直に褒めたの」

 ほんとかな〜? 依然疑いの目。けれどノアは、さほど気に留めていない様子で続けた。

「で、えっとまあ・・・これからどうしようか。それとも何か決めてたり?」

 訊かれ、あっ、と思う。そういえば・・・集まってからのこと、何も考えてなかった・・・。

「え、ああそれは・・・決めてないけど。見切り発射というか・・・まあそんな感じ」

 そんなこったろうと思っていた、という表情をされる。こっちから誘っておいて確かに浅はかだったことは認めるけど・・・むぅ、もうちょっと期待してくれても良いのにぃ・・・。

「じゃ、適当にぶらぶらしようか。街の方は流石にまずいから、自ずとこの辺になるけど」

「あ、そうだね! これぞ散歩の醍醐味!」

 ぶらぶら。良い響き!

「醍醐味というか、これこそ散歩の真意だけど。夜だし、あんまり大きな声出さない。じゃ、行こ」

「えっへへ〜、レッツゴー、だね」

 私は右手で天を突き、常識の範疇で元気よくそう言った。また注意されては話題が逸れる。

 今のは可愛かったでしょ! これ見よがしにノアに目線を向ける。だが、ノアは今しがたの出来事など歯牙にもかけず、なぜだか空を見上げ出した。

 はてなが頭を駆け巡る。・・・何やってんの?

 スルーされた。むぅ。私は唇を尖らせた。

 

                ーーー続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【乙和ノア】暮夜の会合 〜ノア〜(4)

 

 住宅の密集した場所から少し離れると、左右に見える景色は深緑を含み始めてきた。

 ここまでくるとこれまで頼りだった生活の光は影に潜み、辺り一体は暗闇が満ちている。人気もなく閑散とし、人工物といえば舗装されたコンクリートくらいである道は、乙和が怖がるものとはまた別の、恐怖の対象を思い起こさせた。

 漠然とした不安が影の様につきまとう。もし前方から人が歩いて来でもしたら、たとえ悪意なき人間であろうともちょっとびっくりしそうだ。そんなことを考えていたら、あたりにひしめく木々の梢の葉が、風によってさんざめいた。

 鳴り止むと、聞こえるのは足音と、乙和の小さな息遣いだけ。

 汗の滲んだ私の右手と乙和の左手は、互いの存在を確かめ合う様に強く結び合っている。

 どこに行く気なんだろう・・・。

 静寂に迎合するように消失した会話の流れを、もう一度作り直す。

「ねえ乙和、どこに行く気?」

「ん? んっふっふ、まあまあ、もうすぐ着くからさぁ」

 訝しい・・・。このまま海外に売りに出されるのでは無いか、そんな想像を逞しくした。

 しばらくすると、ずっと直進だった道のりに変化が訪れた。乙和は左方向に曲がる。手は繋がれたままなので、当然私も連れられた。

 しかし、私はそこで反射的に歩む足を止めた。乙和の手を引き、ぐいぐいと進む健脚を制止させる。おや? というように乙和は私の顔を伺うが、いや、分からないのはこっちだから。

「ちょっと乙和、だからどこに行くの? そっち、道無いじゃん」

「なに言ってんのさノア。この世に進めない道なんてないんだよ」

「馬鹿なこと言わない。何森に入ろうとしてんの。獣道を行きたいなら、昼間に、相応しい格好で、一人で行ってよ」

 それにメンウィズヒル基地とかエリア51とか、一般人は入れないし。それはあまり関係ないけど。

「獣道じゃないよ。ほらこっち来て、よく見てよ」

「え?」

 再度手を引かれ、くるぶしを雑草が撫でるのを不快に思いながら、

「ほらほら」

 乙和の指差す方向をよくみてみる。

 遠目からだと、周りの景色と同化してまるで幹のカーテンが張ってあったように見えたけど、そこには確かに道があった。樹木の生い茂る丘に一本の、緩やかな勾配の山道が伸びている。

「ほんとだ・・・」

「でっしょ〜? 私だって、私服のノアを連れて決死の山登りなんて、したくないって」

「どこに続いてるの?」

「ここまで来て、それを教えたら面白くないでしょ」

 確かに。ここまで焦らされて、ゴール手前でネタバラシなんて粋じゃないにも程がある。

「だね」

「じゃ、ちゃっちゃと登っちゃお〜。もう一踏ん張りだよ」

 今一度、手は強く握られる。

 砂利を踏みしめ、私たちは森へと入っていく。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ノア、意外と手大きいね」

「そう? 普通だと思うけど。乙和の手が小さいんじゃない?」

「やっぱりそうなのかな」

「そういうものじゃない? 身長差もあるしさ」

 やっぱり人体というものは、身長が成長の主軸みたいなところがある。背が高ければ自ずと手足も、ある程度伴うものだ。いやでも、伴わないものもある。例えば胸や頭。この違いはなんだろう。帰ったらちょっと調べてみよう。

「やっぱりさ、ノア的に、手は小さい方が可愛い?」

「ん。いやあどうだろう・・・。少なくとも、私の中にある可愛いの定義には含まれないかな。咲姫ちゃんとかも標準くらいでしょ? でもちんまい物というなら話は変わってくる。ちんまい物は総じて手も小さいから。その要素を単体で評価はできないかな」

「い、意外とちゃんとした基準があるんだ・・・」

「当然でしょう。可愛い物を伝導する使命がある以上、自分のセンサーが何に反応するのか、その詳細は知っておかないと」

 当然のこと。でもまだ少し、理解にムラあるから、この先ちゃんと更新していかないと。

「・・・そっか。・・・・・・・・・」

「ん?」

 今乙和が何かつぶやいた気がしたけど・・・なんて言ったんだろう。改めて訊き直す間も無く、

「なんでも無い。それよりも、もうすぐ頂上、見えてくるよ」

 乙和は取り繕うように話を打ち切った。

 坂の先の方を見ると、私たちを取り巻く闇より若干、明度が上がっている部分がある。あれが木のトンネルの出口だろうと当たりがつく。黒と紺くらいの些細な差ではあるけれど、纏わりつく闇でも終わりがあるという事に安堵した。

 歩幅変えず、ぐいぐい進み、やがて森を脱した。立ち止まると、足の筋肉がぷるぷる震え出す。思いのほか疲れていたらしい。下にいた時と比べて息も上がっている。家を出たときはまさか散歩ごときで汗をかくとは思わなかった。体が疲労を訴えるほどの道のり。その先にあり、乙和が頑なに見せつけたかったものは何か。

 回答求めようと乙和の方を向く。しかし首謀者である彼女の目には、道のりの最中確かにあった希望は見受けられなかった。代わりにあるのは、酷く落胆した表情。

 私は当惑してしまう。

「そんなぁ・・・」

「どうしたの?」

「・・・雲」

 雲、その呟きに首は自然と上を向く。

 空は暗雲に包まれている。さっきまではまばらだった雲も、時間が経って集合し、大きな形を形成していた。

 この状態が、どうして落ち込む事になるのか。

 その答え、なんとなくわかった気がした。

 標高が高く、都会の明かりも届かない場所。そんな場所にわざわざ訪れる目的なんて、けだし一つしかない。

「星、見せてくれようとしたんだ」

「・・・うん。ほら、前にさ、フォトンのみんなで星見たでしょ。結構思い出深かったからさ、その日から夜の空を、意識して見る様になったんだ。この場所は、この間たまたま見つけてさ、その日は雲ひとつない快晴だったから、ぶわぁーって星が見れてすごかったんだ。すごかったんだけど・・・今日は見られないみたい」

 言われて、あの日のことを思い出す。確かにあの日見た星は忘れられない。メンバーの結束が強まるきっかけになった、あの日の星は。

 乙和の心にも、あの日のことが強く刻まれていたことを、少し嬉しく思った。普段はそんな気全然見せないけれど、なんだかんだ今を大事に思ってくれているんだ。

 あの日のことを健気に思い続け、星を見て、たまたま見つけたこの場所。それを見せたいがために私の手を引き、高揚を隠そうともせず、期待を煽り、私に「あっ」と言わせる事に必死になっていた姿は、なんといじらしいものか。

「はぁ・・・本当に・・・」

 可愛いなぁ、この子は。

「・・・何?」

「うんん、なんでも。それよりもさ、まあ別に、今見えなくても良いじゃん」

「どうして? 私は見せたかったよぉ・・・」

「うん、私も見たかった。だからもう一回来よう」

「え、もっかい?」

「うん、もっかい」

「また付き合ってくれるの?」

「うん。夜に乙和を一人で歩かせたら、ビビって足動かなくなりそうだから、手を引っ張ってあげる人が必要でしょ」

「ちょ、なにそれ〜。怖いのは暗くて狭い場所だけだよぉ。私そんな子供じゃないから」

「はいはい」

 む〜と、乙和は腑に落ちていない面差しだ。受け流し、今一度空を見る。

 曇りは相変わらず。遠くの方まで、空の覇権は雲に握られている。むしろこれはこれで、幻想的だ。

「次は絶対言わせるから」

「え、何を?」

「なんでも無い」

 私の知らないところで、乙和の決意はより一層強まったみたい。よかった・・・のかな?

 ともあれこれにて、私たち二人だけの夜は終わった。

 今日のことは後に持ち込むことは特になく、二人だけの思い出として昇華される。

 学園での日常、ユニットの一員としての日々。沢山の出来事があって、いろんな人がいて。そんな中にも、乙和と私。二人だけのものは、これからもこうして積み重なっていく。

 

                  終わり  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【乙和ノア】暮夜の会合 〜ノア〜(3)

 路地を進んでいく。

 用水路のせせらぎが聞こる。

 全ての物音は狭隘な空間に反響し、湿った足音は絶えず鼓膜を揺らし続けていた。

 先行する乙和が言った。

「なんかさ・・・こういう場所、色々と想像しちゃうよね」

 声とは、顕著に当人の精神状態を表してくれる。

 何が言いたいかというと、おそらく乙和はいささか怖がっているんだろうなぁということが伝わってきたのだ。

 明朗快活おてんば娘といえども、やっぱり形而上的概念は苦手か。

 私に弱みを見せるとは、ちょっと背後に警戒が足りないねぇ。

「ま、確かにね。・・・例えば、反響する足音。まばらに鳴って交錯する足音が、二人だけのものとは限らないかも」

「お、おぉ・・・」

「あとはそうだなぁ。右手に見える明かりの灯らない民家。不可視の監視者なんかいそうじゃない?」

「あ、え、へ、へぇ・・・」

 欲しい反応をしてくれる。図にのらせてもらって、もうちょっと。

「ほんとに用水路なんてこの近くにある?」

「うぅ・・・」

「道脇の黒いゴミ袋・・・何が入ってるんだろーーーー」

「もう! 怖がらせないでよ!」

 げ、叱られた。

 からかう意思があったことは確かだ。素直に謝る。

「ごめんごめん」

「もう早くこんなとこ出ようよ・・・」

 ここまで弱気な乙和を見るのは久しい。

 普段は怖気付くこともなく、質実剛健になんにでも立ち向かっていきそうな気概がある。乙和の腰が引けたところを見られるのは、注射と姫神プロデューサーを前にした時くらいな物だ。

「そうだねぇ。そもそも、どうしてこんなところに入り込んだのかってところが疑問なんだけど」

「え、私はノアについてっただけだよ・・・?」

「わたしも乙和に・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 同調現象のバッティングだ。

「原因なんてどうでも良いよぉ。早く出よう」

 ま、確かに原因なんてどうでも良いか。

「ビビり過ぎ。そうだね、早く出よう。多分、真っ直ぐ行って突き当たって右に行けばーーーー」

 

 ダン!

「みゃ〜」

言い切る前に、大きな物音にかき消された。次いで聞こえたのは猫の声。路地の左側に伸びる通路を、猫がポリバケツを踏み倒して横断したのだ。

 びっくりしなかったと言えば嘘になる。心臓がピクリと跳ね上がり、脈動が轟々と激しさを増していた。

「・・・・・・」

 しかし、それは割と取るに足らない問題だったりする。というのも、音が鳴った直後にそれ以上に驚くべきことが起こったからだ。

「きゃぁあ!」

 甲高く冴えた喫驚の声は乙和。恐怖で飽和した乙和の内心に、あの音は決定打を与えたみたいだった。

 そして今・・・乙和は私の胴体を力一杯に抱きしめ、胸に顔を埋めている。満腔はプルプルと震え、「んー、んー」と声にならない感情を吐き出している。

 そこまで怯えることかな・・・。そう思った直後に、その思考を打ち消した。

 私の価値観を押し付けてはいけない。怖いものは怖い。恐怖心の多寡だって人それぞれだ。

 あちゃあ。

 申し訳ない気分。私が乙和の恐怖心を煽るようなことをしなければ、ここまで怯える様なことにはならなかったかも知れない。

 現代文の問題。乙和という女の子の心情を図り間違えた。減点。

 友達としても、減点。

 せめてと思い、私も乙和を抱き返す。首と背中をぎゅっと抱き寄せ、乙和的にも楽な大勢をとらせる。

 こうして触れてみるとわかる。私の衣服を握りしめる手、締め付ける腕、首、胴体。そのどれもが頼りなく細く、乙和だって、小さくてか弱い一介の女の子であると再認識させられる。胸はすごいけど。

「うぅ・・・」

 涙ぐんだ声だ。

「ごめんごめん。大丈夫大丈夫」

 そう何度も言い続け、その度に頭を撫でる。

 少し湿っている。お風呂にはもう入ったのだろう。

 曲がりなりにもアイドルを目指しているだけある。手入れの行き届いた髪は、ヘア用品店にあるサンプルみたいにサラサラだった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 手を引いて路地を出た。

 それからまた並列でしばらく歩き、伴って徐々に、乙和のなかにあった恐怖の残滓も薄れていったようだった。

 今日はちょっとおいたが過ぎたなぁと反省。また一層乙和が機嫌悪くして尾を引いたら、レッスンにも影響しそうだなぁ・・・。

 などと危惧していたのだけれど、それは結果杞憂で終わった。

「そうだ! わたし行きたい場所あったんだよねぇ」

 なんか機嫌が良くなっている。というかなんだか、初めよりも上機嫌になっている気がするのは思い過ごしか。

 あまり気にしてないみたいで良かったけど・・・。やっぱり今夜の乙和は、いつもより分からない。

「へえ、どこ?」

「えっへへ、内緒。着いてからのお楽しみだよ」

 否が応でも、気になる言い方をしてくれる。小癪だ。

「いいよ、乗ってあげようじゃないの。その代わり期待するから」

「ぜんっぜんしてくれて良いから。むしろいっぱいしてよ、期待はされればされるほど、超え甲斐があるってもんでしょ」

「流石はプロ」

 そういう仲間がいてくれると、こっちとしても頼り甲斐がある。安心して隣を任せられる。

「お客さんの期待は毎回超えてるつもりだよ。だから今回も」

 そう言って、乙和は私の手を取った。私の右手が、乙和の左手に包まれる。

「ノアをあっと言わせるから」

 首を傾げてウィンク。キュピッと脳内でSEが流れた。

 目的地まで、この手は離してくれなさそう。

 なんだか好きで手を繋いでいるみたいで小っ恥ずかしいけど・・・だれもいない事に免じて今回は許してあげますか。

 乙和は私の斜め前を歩き、私を牽引していく。

 どこに連れて行かれるのやら。

 ともあれ、私たちの暮夜の終わりも、もうすぐそこに迫っているだろうなと、そんな気がした。

 

                  ーーー続く