【乙和ノア】暮夜の会合 〜ノア〜(4)
住宅の密集した場所から少し離れると、左右に見える景色は深緑を含み始めてきた。
ここまでくるとこれまで頼りだった生活の光は影に潜み、辺り一体は暗闇が満ちている。人気もなく閑散とし、人工物といえば舗装されたコンクリートくらいである道は、乙和が怖がるものとはまた別の、恐怖の対象を思い起こさせた。
漠然とした不安が影の様につきまとう。もし前方から人が歩いて来でもしたら、たとえ悪意なき人間であろうともちょっとびっくりしそうだ。そんなことを考えていたら、あたりにひしめく木々の梢の葉が、風によってさんざめいた。
鳴り止むと、聞こえるのは足音と、乙和の小さな息遣いだけ。
汗の滲んだ私の右手と乙和の左手は、互いの存在を確かめ合う様に強く結び合っている。
どこに行く気なんだろう・・・。
静寂に迎合するように消失した会話の流れを、もう一度作り直す。
「ねえ乙和、どこに行く気?」
「ん? んっふっふ、まあまあ、もうすぐ着くからさぁ」
訝しい・・・。このまま海外に売りに出されるのでは無いか、そんな想像を逞しくした。
しばらくすると、ずっと直進だった道のりに変化が訪れた。乙和は左方向に曲がる。手は繋がれたままなので、当然私も連れられた。
しかし、私はそこで反射的に歩む足を止めた。乙和の手を引き、ぐいぐいと進む健脚を制止させる。おや? というように乙和は私の顔を伺うが、いや、分からないのはこっちだから。
「ちょっと乙和、だからどこに行くの? そっち、道無いじゃん」
「なに言ってんのさノア。この世に進めない道なんてないんだよ」
「馬鹿なこと言わない。何森に入ろうとしてんの。獣道を行きたいなら、昼間に、相応しい格好で、一人で行ってよ」
それにメンウィズヒル基地とかエリア51とか、一般人は入れないし。それはあまり関係ないけど。
「獣道じゃないよ。ほらこっち来て、よく見てよ」
「え?」
再度手を引かれ、くるぶしを雑草が撫でるのを不快に思いながら、
「ほらほら」
乙和の指差す方向をよくみてみる。
遠目からだと、周りの景色と同化してまるで幹のカーテンが張ってあったように見えたけど、そこには確かに道があった。樹木の生い茂る丘に一本の、緩やかな勾配の山道が伸びている。
「ほんとだ・・・」
「でっしょ〜? 私だって、私服のノアを連れて決死の山登りなんて、したくないって」
「どこに続いてるの?」
「ここまで来て、それを教えたら面白くないでしょ」
確かに。ここまで焦らされて、ゴール手前でネタバラシなんて粋じゃないにも程がある。
「だね」
「じゃ、ちゃっちゃと登っちゃお〜。もう一踏ん張りだよ」
今一度、手は強く握られる。
砂利を踏みしめ、私たちは森へと入っていく。
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「ノア、意外と手大きいね」
「そう? 普通だと思うけど。乙和の手が小さいんじゃない?」
「やっぱりそうなのかな」
「そういうものじゃない? 身長差もあるしさ」
やっぱり人体というものは、身長が成長の主軸みたいなところがある。背が高ければ自ずと手足も、ある程度伴うものだ。いやでも、伴わないものもある。例えば胸や頭。この違いはなんだろう。帰ったらちょっと調べてみよう。
「やっぱりさ、ノア的に、手は小さい方が可愛い?」
「ん。いやあどうだろう・・・。少なくとも、私の中にある可愛いの定義には含まれないかな。咲姫ちゃんとかも標準くらいでしょ? でもちんまい物というなら話は変わってくる。ちんまい物は総じて手も小さいから。その要素を単体で評価はできないかな」
「い、意外とちゃんとした基準があるんだ・・・」
「当然でしょう。可愛い物を伝導する使命がある以上、自分のセンサーが何に反応するのか、その詳細は知っておかないと」
当然のこと。でもまだ少し、理解にムラあるから、この先ちゃんと更新していかないと。
「・・・そっか。・・・・・・・・・」
「ん?」
今乙和が何かつぶやいた気がしたけど・・・なんて言ったんだろう。改めて訊き直す間も無く、
「なんでも無い。それよりも、もうすぐ頂上、見えてくるよ」
乙和は取り繕うように話を打ち切った。
坂の先の方を見ると、私たちを取り巻く闇より若干、明度が上がっている部分がある。あれが木のトンネルの出口だろうと当たりがつく。黒と紺くらいの些細な差ではあるけれど、纏わりつく闇でも終わりがあるという事に安堵した。
歩幅変えず、ぐいぐい進み、やがて森を脱した。立ち止まると、足の筋肉がぷるぷる震え出す。思いのほか疲れていたらしい。下にいた時と比べて息も上がっている。家を出たときはまさか散歩ごときで汗をかくとは思わなかった。体が疲労を訴えるほどの道のり。その先にあり、乙和が頑なに見せつけたかったものは何か。
回答求めようと乙和の方を向く。しかし首謀者である彼女の目には、道のりの最中確かにあった希望は見受けられなかった。代わりにあるのは、酷く落胆した表情。
私は当惑してしまう。
「そんなぁ・・・」
「どうしたの?」
「・・・雲」
雲、その呟きに首は自然と上を向く。
空は暗雲に包まれている。さっきまではまばらだった雲も、時間が経って集合し、大きな形を形成していた。
この状態が、どうして落ち込む事になるのか。
その答え、なんとなくわかった気がした。
標高が高く、都会の明かりも届かない場所。そんな場所にわざわざ訪れる目的なんて、けだし一つしかない。
「星、見せてくれようとしたんだ」
「・・・うん。ほら、前にさ、フォトンのみんなで星見たでしょ。結構思い出深かったからさ、その日から夜の空を、意識して見る様になったんだ。この場所は、この間たまたま見つけてさ、その日は雲ひとつない快晴だったから、ぶわぁーって星が見れてすごかったんだ。すごかったんだけど・・・今日は見られないみたい」
言われて、あの日のことを思い出す。確かにあの日見た星は忘れられない。メンバーの結束が強まるきっかけになった、あの日の星は。
乙和の心にも、あの日のことが強く刻まれていたことを、少し嬉しく思った。普段はそんな気全然見せないけれど、なんだかんだ今を大事に思ってくれているんだ。
あの日のことを健気に思い続け、星を見て、たまたま見つけたこの場所。それを見せたいがために私の手を引き、高揚を隠そうともせず、期待を煽り、私に「あっ」と言わせる事に必死になっていた姿は、なんといじらしいものか。
「はぁ・・・本当に・・・」
可愛いなぁ、この子は。
「・・・何?」
「うんん、なんでも。それよりもさ、まあ別に、今見えなくても良いじゃん」
「どうして? 私は見せたかったよぉ・・・」
「うん、私も見たかった。だからもう一回来よう」
「え、もっかい?」
「うん、もっかい」
「また付き合ってくれるの?」
「うん。夜に乙和を一人で歩かせたら、ビビって足動かなくなりそうだから、手を引っ張ってあげる人が必要でしょ」
「ちょ、なにそれ〜。怖いのは暗くて狭い場所だけだよぉ。私そんな子供じゃないから」
「はいはい」
む〜と、乙和は腑に落ちていない面差しだ。受け流し、今一度空を見る。
曇りは相変わらず。遠くの方まで、空の覇権は雲に握られている。むしろこれはこれで、幻想的だ。
「次は絶対言わせるから」
「え、何を?」
「なんでも無い」
私の知らないところで、乙和の決意はより一層強まったみたい。よかった・・・のかな?
ともあれこれにて、私たち二人だけの夜は終わった。
今日のことは後に持ち込むことは特になく、二人だけの思い出として昇華される。
学園での日常、ユニットの一員としての日々。沢山の出来事があって、いろんな人がいて。そんな中にも、乙和と私。二人だけのものは、これからもこうして積み重なっていく。
終わり