【乙和ノア】暮夜の会合 〜ノア〜(1)

 無闇に、夜分に外出するタチではありません。

 夜という舞台に漂う空気感には程よい哀愁が含み、いざ自ら纏ってみないと感じ得ないような安らぎや、清涼感、無条件の安閑や寂静があることは認めましょう。人ですから、情緒的になり、沈思黙考に耽溺したくなる夜があっても可笑しくはない。それは私だって同じこと。むしろ静謐は大好物と言っても過言ではないくらいです。

 でも補導が怖い。それに尽きる。

 著名なプロデューサーの元でレーベルに属し、最近はメジャーデビューを果たしたDJユニットの一員であることを差し引けば、私、及びメンバー全員一介の高校生。確かに普通の学生とは一線を画す、特殊な立場に私は立っているけれど、それは世の不文律の前では何の効能も持たない。平等に罰せられる。自分を何でもできる大人であると豪語するには、まだ決定的に人生経験が足りないのです。

 ではどうして、こうも明確な懸念を持ちながら、夜の帳が降りきった空の下に私はいるのか。

 能動的ではないとするならば、もちろん対は受動になる。

 どういったわけか、同じユニット(フォトンメイデン)に属する同輩、花巻乙和に誘われたのです。電話口で一つ、

「今日の夜お散歩に行こうと思うんだけどさ、ノアもどう?」

 なぜ私なのでしょう。乙和の家と私の家を市内のマップに当てはめて見てみると、決して近くはないことが分かる。互いの家の道のりを割った中間ですら、少し億劫になるくらいなのです。

 陽葉学園から直接行くなら苦にはならないけれど、自宅から乙和の家に行く事はまずありません。向こうから来ることはあるけれど、そこは完全に性状の違いでしょう。きっと乙和なら、自慢の健脚で自転車を飛ばし、私の家まで来ることなど雑作もない。

 とはいえ、やはりわざわざあえて約束して、夜の徘徊に興じようと考えるには、お手軽さに欠ける気がします。

 何か裏がある・・・?

 そこまで受話器を持ったまま考え、一も二もなく思考を打ち消した。

 あの単細胞がこの私に一矢報いるほど、奸智に長けているとは到底思えない。

 そもそも報復されるようなことを私は何もしていないのですから。

 ただの思いつき、気まぐれ。あの行動力の権化のすることだ。理屈の道理も度外視で、ただ誘いたくなったからそうした。

 花巻乙和は、そういう女の子なのだ。

 だから私も虚心でいられる。仲のいい友達から誘われれば、それだけで断る理由は無くなるというもの。

 歩道のベンチに座り、郊外の住宅地で星を眺めながら彼女の到着を待っている現状が物語る。

 もうすぐ約束の8時。もう乙和の遅刻には(ほんとはダメだけど)慣れてしまった自分がいる。

 プラス10分は硬いかな・・・。

 そんなことを考えていると、なんと意外なことに、歩道の先から擦るような足音が聞こえてきた。

 音の方に目を向けるけれど、今日の月は暗雲に包まれている。私を照らす街灯の外は真っ暗で、正体を掴むことが出来ない。

 知らない人の可能性を踏まえ、凝視せずに横目で窺う。けれどすぐに、そうする必要も無くなった。

 わずかに月が、満天下に光を落とした。

 0.2ルクスの光に照る青髪をなびかせて、彼女は姿を現した。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「やっほーノア。待った?」

「時間ギリギリ・・・。ま、乙和にしては頑張った方かもね」

「え〜なにその言い方。感じわるーい」

 ぷくっと頬を膨らませ、拗ねたように言ってくる。

 そこまで皮肉めいた言い方をしたつもりはなかったのだけれど。でもまあ、乙和以外にはあまり出ない口ぶりだったことは確かかな。

「素直に褒めたの。で、えっとまあ・・・これからどうしようか。それとも何か決めてたり?」

「え、ああそれは・・・決めてないけど。見切り発射というか・・・まあそんな感じ」

 そんな事だろうとは思っていた。期待していなかった分、その後の判断は早い。

「じゃ、適当にぶらぶらしようか。街の方は流石にまずいから、自ずとこの辺になるけど」

「あ、そうだね! これぞ散歩の醍醐味!」

「醍醐味というか、これこそ散歩の真意だけど。夜だし、あんまり大きな声出さない。じゃ、行こ」

「えっへへ〜、レッツゴー、だね」

 大振りなアクション。それでいて声は控えめだから本当に素直だ。

「さてと」

 空を見上げる。ああだめだ。アルタイルでも見られたら方角の当てがつくというものなのに。玉兎の加護はもうお終いみたい。

 

                             ーーーーーー続く